ババア、タッチダウン

つい先ほど、友人を励ますためにいいこと書いたんですけど、
やっぱり我慢できず、いつものジュンさんに戻ります。

日本には「ババア」という生き物がいます。
wikipediaによると、
ババアとは日本に生息するヒト科の生物である。
メスしかいなく、発見された個体のすべてが40年以上生きており若いババアは発見されていない。
さまざまな商業施設に生息し、まれに群れでも見られる。
その生息地によって性格や外見が分類できる。

とのこと。

ババア嫌いのジュンさんは、あの生き物は世界で一番ずうずうしい生き物だと思っています。
ついこの間も、銀行へ行ったときにそりゃあもう滅茶苦茶混んでたんですよ。
そこの銀行はATMが2つしかない小さな営業所なのですが、それの片方をやれあらおかしい、あら変だわと一人で気持ち悪く喋りながらポチポチしてた腐れババアが居ましてね。
片方がずっとそのババアが塞いでるもんだから更にATMは混みだしてました。

みなさん、イライラしながら待ってたんだけど、するとそのババア。荷物を置いたまま出口の方へ行ったじゃありませんか。
?、とその場は満場一致で思ってたに違いないのですが、
そのババア、おもむろに向かいのコンビニへ入って行ったのです。そしてレジでなんか伝票出してた。
つまりATMでお金おろして、コンビニでまたなんか払って、またそのATMに戻るつもりなのでしょう。

待ってた人たちは「ウソだろ・・・」みたいな顔してました。僕も同じく。

うわあと思いながら待ってたのですが、まだババアは戻ってきていません。
「はっ!これはきっとあのババア忘れてしまったのだろう。いや、そうに違いない!」
と心優しき青年の僕はその荷物を手に取り、窓口の方に「コレ、忘れ物です。」って預けに行きました。
預けた後、僕が戻ってくると列の先頭の人が先に良いですよ、列を一度抜けた僕に言ってくれた。みんなうんうんってしてくれた。良い人たちだなぁ。

窓口から戻ってきたくらいにババアも戻ってきたのですが、自分の荷物を置いてあったATMを僕が使っていて、きょろきょろ周りを見渡し僕に「ここに置いてあった荷物がない。知らない?」って聞いてきました。
すると後ろに並んでた人が「若い人が持っていきましたけど、知り合いじゃないんですか?」って言ってた。なんでその人は目の前にいる僕のこと若い人なんて言ったのだろう。勘違いしちゃったのかな。

するとババア「アタシの荷物がなぁぁあああい!盗まれたぁああああ!」と叫んでいましたがどうかしたのでしょうか。
僕が終わって出ようとすると待ってたOLさんがすごい意地悪な顔で僕の事を見てにやってしました。あのお姉さんはきっとドSです。ちょっと興奮しました。

また違う日になるのですが、僕はスーパーにイチゴが食べたくなって買いに行きました。
イチゴを手に取りレジの方に行くとレジは何個かあったんですけど休止中になってるところも多いですよね。
そこのスーパーも半分くらい休止中になっていてすごく混んでました。

こんな所でイライラしても仕方ないのでiPodを取り出し聖飢魔Ⅱのエルドラドを聞きながら待つことにしました。
列が進み僕がやっと半分くらいまで進んだくらいに並んでた右側のレジに店員さんが来てレジを開けました。
開けるや否や僕の前にいたババアがカートをドリフト気味にブワーっと開いたレジへ走って行きました。ババア、タッチダウン。

カートは他に人に当たったりして危ないなーと思いました。きっと時速160キロはでてた。マー君も真っ青。
だけどレジを開けた店員さんは「順番に案内してますので、列にお並び下さい」と冷たく言いました。あのお姉さんはきっとドSです。ちょっと興奮しました。

僕はババアが抜けたので列を詰めてたのですが、ババアが戻ってきて僕になんか言ってます。
だけどエルドラドがちょうどサビだったので僕はiPodの音量を大きくして聞きながらイチゴのつぶつぶの数を数えてたのでそれに気づきませんでした。ずっと無視してしまっていたようです。でも閣下の美声のせいで聞こえません。聞こえませんとも。

ババアは堪忍したのか、また列の最後に並んでましたが、並んでしばらくたったくらいにまた違うレジが開きました。
すると後ろからさっきのババアがカートをドリフト気味にブワーっと開いたレジへ走って行きました。
カートは他に人に当たったりして危ないなーと思いました。きっと時速160キロはでてた。ダルビッシュも真っ青。
ババアはだれよりも早く開いたレジへたどり着きました。ババア、タッチダウン。

だけどレジを開けたおっさん店員さんは「順番に案内してますので、列にお並び下さい」と冷たく言いました。冷たく言ったけどこのおっさんは絶対ドMだ、と思いました。

なんかババアはぎゃーぎゃー言いながらまた列の最後に並んでました。僕はとっくにイチゴを買い終えて袋に入れてましたが、ババアはまだ並んでました。並ぶのが好きなのかな?

買い物を終えた僕だけど、練乳を買うのを忘れてもう一度レジへ行きましたが、今度はレジがたくさん開いてたので全然待たないで買い物できました。
よかったよかった。

銀行やスーパーなどではこのようにババアの生息が発見されてます。
イライラせずその生態を観察してみてはいかがでしょうか?面白いかもしれません。

僕はゴメンだね!

生きる目的はなんなのか

なんか前にも書いたことある気がしますが。

「何のために生まれて何のために生きるのか。」
そう聞かれたらなんて答えますか?

人語をしゃべるアンパンでさえ、生きることの意味を考えるので人間様の僕らはそう思った事もあるでしょう。

家族のため、仕事のため、趣味のため。
いろいろ生きていく意味があるのだと思いますが、僕は「何のために生きているのか分からない。」と、そう悩んでいる人がいたらお腹の下の方を強めにグーでパンチします。

何のために生きてるのか、ではない。
生きる、というのが人間の最終目標なのです。

僕ら人間以外の動物を見てみましょう。
生きるために食べます。
生きるためにほかの動物を殺します。
生きるために親や子供を殺す動物だっています。

元々生物ってものは生きるために何でもするんです。
なのに人間は「何のために生きてるか分からない。」とか言い出すのです。

確かに人間には獣とは違い理性がありますから、親を取って食えというわけにはいきませんけれど、
それでも「何のために生きてるか分からない」っていう悩みは贅沢な悩みだと思うんです。

だって、「生きる」ことが保障されているからこそ言える事ですもん。

例えばシマウマさん。サバンナの精肉コーナーの彼はそりゃあもう生きるのに必死ですよ。
明日も生きてるか分からない状態なのに、「俺は何のために生きてるのか分からない。」とか言えませんよ。

サバンナのシマウマと人間を比べても仕方ないですけど、でもやっぱり「生きる」ってのは最終地点であり
ブラック起業でバリバリ働いていても、バンドやってプーしていても、パチンコにはまって借金まみれでも、ホモでもゲイでもオカマでもとりあえず生きているって時点で生物としての「意味」をしっかりとなしているんです。

それでも確かに「何のために生きてるのか分からない。」という疑問を持つことだってありますよ。
そう思ったときは肩を抜いて「生きてるんだからそれでいいじゃん。」と頑張って生きてればいいんです。

僕は悩みを抱える人にいつもそうやって言うんですが、「ジュンさんに言われてもねぇ。」と言われます。
確かに、リア充のトップクラスにいる僕には家族がいて、妻が娘がいて、仕事にも恵まれていて、楽しめる趣味もあり、友達も多く、彼女も3人います。
何のために生きてるのかなんて考える暇もないほど毎日充実してます。そんなこと悩んでる暇があったら夕飯のメニューでも考えたいくらいなものです。

まあでも人間に生まれた以上、もうほぼ生命の継続は保障されているようなものですからね。
生きてく上に第2の目的が欲しくなるのもわかります。
だけど、何も考えないで生きていればいいのです。そうすればふとしたときに「生きていて良かった」と思える瞬間がきっとあるはず。

愛のセオリー

新しい趣味ができた。

つーても、今までも趣味としてやってたんだけど新しい楽しみ方を発見した。

それは一体何なのかと言うと、音楽だ。

何を今更言ってんだこいつと思われそうだけど、今までとはちょっと違う楽しみ方を見つけた。

それが理論である。

音楽理論、またはミュージックセオリーと呼ばれるこの分野はなかなか奥が深く独学では手を出しにくい分野とされる。

僕も音楽を始めたのは6歳のピアノから。多少は音楽理論を勉強したとはいえ所詮「素人」だったわけだ。

しかしですね、これをここ数年ずーっと勉強を続け今では教え子もいるほど。プロの作曲家とも大学の教授とも議論できるほどまでの知識を身に着けた。

クラシックからポピュラーミュージック、難しいと言われるジャズの理論も習得。きっと今音大でも受験したらきっと受かる。あと、10年はやくやってれば人生変わってたわ。

そもそも音楽理論とはなんぞやという君たちにちょっと説明しよう。
と、いってもまともに説明しても君たちボンクラには到底わからないのですごく簡単にわかりやすく説明する。

普通の音楽はほぼ全てこの音楽理論に則って作られている。
音楽理論にもいろいろあるけれど、結局はただのルール。
このルールを破ると聞いていて物足りなくなったり気持ちわりぃ音楽になってしまったりするものってわけだ。

これを学んでいるうちにふと思ったことがある。

人生は音楽みたいなもんだな、と。

いや、逆に音楽が人生みたいな物かもしれない。

音楽にはケーデンスと呼ばれるものがある。
これは和声の安定と緊張、そして解決を一括にしたものなんだけど、君たちボンクラのために簡単にわかりやすく説明すると、音楽の中の一番小さな起承転結、物語だ。

これがたくさんたくさん繰り返し重なって、時には変化し前に進むことで一つの大きなストーリーとなる。
これが音楽だ。

どうだろう。人生だってこの小さな物語の繰り返しだ。

今、妙に仲の良い小林と言う奴がいる。
こいつはフリーターで年中お金がない。
なかなか連絡が取れないのだけれど、その理由がひと月のうち半分が携帯代の未納で止められているからである。

両親が遠方に住んでいるのだが、お米だけは送ってもらえるらしくお金がなくなると焼いたご飯(チャーハンではなく高温の油で焼いたご飯)をおかずにご飯をたべる。

あまりに可哀想なのでレトルトのカレーや牛丼をあげたことがあった。小林はあまりに感動した、こんなに旨かったのかと驚いたとお礼の手紙を書いてきた。携帯止まってるから。

音楽も同じだ。繰り返しの中にふと変化を入れると感動や驚きを生むのだ。

あまりに同じ事を繰り返すと人生も音楽も味気ないものになってしまう。

今、僕は右目が腫れている。なんかの変な雑菌が入ったらしい。
実はこれ、二度目である。

まず右目に雑菌が入り腫れてしまった。それをカイカイした手で左目を掻いたら今度は左目が腫れた。そうこうしてるうちに右目は治った。今度は左目をカイカイした手で右目を掻いたら今度は完治したはずの右目がまた腫れた。

こんなくだらない繰り返しなどしても仕方がないのだ。

人生も音楽も小さな物語を繰り返して出来ている。
しかしそれを素晴らしい物にするためには変化をさせ前に進むことが大切なのだ。